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こんにちは。 曽谷です。 今日は二つブログ書いちゃいました。。。 日々どんどん活字が好きになっていき、言葉やブログやコラムといった文字を読み漁っているこの頃です。 少し前に書いた話で、なぜか昨日コブラの練習試合をしながら感じた事を書いていこうかと思います。 『勝たせることは簡単』 この言葉だけでこんなに引っかかる自分にも驚きですが、強烈に考えてしまいました。 私はこれが言える指導者で無ければ指導で示していくことは出来ないのではないかと考えました。 一人一人考え方が違うから面白いのですが、自分が指導する中で、ちゃんと正解を持っていないと良い指導というものは出来ないと感じる。 正解が分からないからと言って、指導が出来ない訳じゃない。 ただ、信頼や信用を得るには指導力以外のスター性や人間性、何か別に大きな力が必要になってくる。 ちゃんと正解を持っていれば、何を聞かれても自信を持って答える事が出来るから、信用や信頼を得やすい。 でも。 勝たせることが出来る人が、勝たせてしまうと、それは良い指導では無くなってくる。 ”良い結果を残せる人”なだけで、良い指導者ではない。 例えるなら、勉強で考えてみてほしい。 テストという試合がある。 それを勝たせる方法を知っている。 塾や家で、過去問を見直し、どの問題が出やすいか導き出してその勉強をする。 毎年この問題が出ているとスカウティングして、より点数がとれやすい確率の高い勉強をする。 もちろん全く同じ問題が出るとは限らない、けど『なんか見たことある』そんな勉強法で高い点数を獲らせる事は可能だと思う。 だがそれは果たして良い指導なのか? 勝つことが出来た。 周りから評価もされる。 成績も良い。 でもなぜ受験では一発テストだけじゃなくなってきたのでしょうか? みんな気づいてきたからだと思う、テストは勝たせる事が出来るという事に。 そして、勝たせてもらった人間だけでは何か違和感も感じて来たのでしょう。 こと学校という場所に関しては、試合に勝つという事が大きな結果に結びつくので、良い指導をすることより、良い結果を出す事が重視されている事もしょうがないとは思う。 勝たせてもらっていた人が、”勝てなくなった時”に何が出来るのか? 良い指導を受けているかどうかはこの時に分かる。 学校のテストは1位を目指していない限り『受かる』か『受からない』かであり、絶対評価でもあるので、どれだけ頭の良い人間が集まっても自分さえ良ければ落ちる事も成績が下がる事もない。 サッカー(スポーツ)で考えてみてほしい。 試合に出られるのは11人だけ。 小学生の頃、勝たせてもらって良いチームに入った選手が中学でも勝たせてもらって良い高校へ進学する。 選りすぐりの集まる良い高校ではギリギリ出られるか出られないかの状況。 ここでは急に自分で考える時間が増えてくる。 勝ち方を教えてもらっていた子たちは戸惑う。 『どうすれば試合に出られるんだ?』 考える力が無いから『なんで自分が試合に出られないんだ』と腐っていく。 どれだけ強いチームにいても、高校や大学生になって良い指導を受けていない選手はすぐ分かる。 『考える力』が無さすぎる。 自分も高校時代は特にそうだったからよく分かる。 言われたことをただ一生懸命やる。 その結果がたとえ良くても、それはあまり自分の為にはなっていかない事を。 自分で考えて悩んで出した結果だけが自分の力になっていく。 高校を選ぶ時、中学のチームを選ぶ時、育成年代と言われる次期に特に注意して気にしてほしいのは、監督やコーチに勝たせてもらっているかどうか。そこだと思う。 その瞬間が楽しければ良い。 そういう考えもあるから、勝たせてもらえる事で良い経験が出来たと感じる事はたくさんある。 けどその先、勝てて楽しかった記憶だけがずっと残り、勝てない時に楽しさが分からなくなり、悔しさよりも不満が先にきて、嫌になって辞めてしまう事はしょうがない結果だと知っていてほしい。 強いと呼ばれているチームには、2パターンある。 良い指導がされているから毎年良い結果が出ているチームと、強いチームだからと集まった選手の中に良い選手がたまたま揃っていたり、プロになるような選手がたまたま入って来てくれたおかげで結果が出るチーム。 どちらが良い悪いとかではないし、そういう所に人は集まるのは当然。 高校サッカー選手権に出るような監督達がボソっというのは、『良い選手が入って来てくれた』ということ。 どれだけ良い監督でも、素人を3年間で選手権優勝まで持っていくことは出来ない。 逆に、たまに無名の高校が選手権に出たりするのは、中学時代の強かったチームから『みんなで同じ高校行って選手権出よう!』となった代のパターンが多い。 伝えたいのは。 明らかに、勝たせているチーム出身の選手や、強豪校にいたという事実だけの選手と社会人になって一緒にサッカーしてみると、考える力の乏しさと判断の悪さを感じます。 生意気に思われても仕方ありませんが、Jリーグの試合を観ていても感じる事は多い。 人間的に悪い人ではないし、それが悪いからと言って良さがない訳でもないから難しい所ですが、自分はもっと早くそういうことを知りたかったと社会人になって感じました。 根性論と言われる指導もたくさん受けたし、何の判断もない練習をひたすら反復して得た技術もあるし、精神的にも肉体的にもそれはそれで良い指導だったと思っていた。 今は違う。 自分が勉強すればするほどそれは別にその人が元々持っていた部分なだけで、周りみんながそれを受け入れて成長していたかと言えばそうじゃないし、自分には合っていたけど他のみんなはどうだったのか? 大学サッカーを続けた戦友は数少ない。 批判に聞こえるかもしれないけど、そうじゃなくて。 自分の感じた事実を知って欲しいだけで、もし関わっている関係者が読んでくれているのであればもう一度考え直してほしいし、むしろそれについては今となっては話合える気がする。 結果を出す為の努力をさせられてきた人は、結果が出なくなった時に脆く弱く過去に囚われる。 成長する為の努力をしてきた人は、どんな状況でも考える事を止めず前に進む。 結果が成長を生むのではない。 結果が生みだすのは過去の栄光。 成長が生みだすのは未来の自分。 どっちが良いですか? そう思った明日はたなばたです♪ おわり。
by yokohamagsfc
| 2020-07-06 11:46
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